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■2013年3月22日(金)の記録
(◆戸田公園駅…JR埼京線…新宿駅…小田急線…世田谷代田駅(輪行)〜代田・下北沢・大原周辺〜玉川上水〜池ノ上駅〜北沢八幡神社〜笹塚駅〜井の頭通り〜東京ジャーミイ〜幡ヶ谷〜甲州街道〜新国立劇場〜山手通り〜板橋区役所前〜国道17号〜戸田橋(46.30km))

  小田急線世田谷代田〜東北沢間が地下化される前日、吾輩が独身時代を謳歌していた約30年近く前の棲息地に写真撮影&旧居再訪ツアーを敢行。今回はわし以外は誰も楽しめない、極私的な回顧録レポートなのである。

  ↓Yahooルートラボのマップ


  ※↓写真をクリックするとLightboxにて拡大表示

さて本日は、長年にわたり工事が続いてきた小田急線世田谷代田〜東北沢間の地上線部分最後の日。明日から小田急線のこの区間は地下化され、地上の踏切計9ヵ所が廃止されるらしい。というニュースをすでに傍受していた吾輩はこの日はフリーにしておき、ダホンP8号を輪行バッグに積めて世田谷へと里帰りなのであーる。ご覧のとおり、下北沢駅のホームはカメコ対策で厳重警戒中。いたるところ警備員だらけ。
こちらは下北沢駅隣りの世田谷代田駅。かつて吾輩が居住していた賃貸住宅の最寄り駅である。いにしえの面影は見る影もないが、ローカル線の地方駅然としたのどかな雰囲気は往時のまま。この姿を見られるのも本日が最後と思うと万感胸に迫るものが…。
わしが住んでいた30年ほど前、世田谷代田駅の改札口は南口にしかなく、北側の住人は駅横の踏切を渡って改札まで遠回りする必要があった。一応、北側にも臨時改札口はあったのだが、朝のラッシュ時にしか利用できず不便この上ない。その後、駅の上に跨線橋ができ、南北両方向からアクセスできるようになるのは吾輩がこの地を去ってからのことである。
これが世田谷代田駅の西側にある踏切。まぁとにかく朝夕は開かないんだこれが。新聞記事によると1時間のうち40分は閉まっていたらしい。なので、すぐ横には線路の下をくぐる階段の抜け道もある。わしがこの地の住人だったころは、遮断機が上がるのを待ちきれずヒョイヒョイくぐってしまう恐いもの知らずをよく見かけたものだ。最終日とあって、ここでもカメラを向ける人がたくさん。
踏切の真ん中に立ち、梅ヶ丘駅方面を見ると環七より西側にある地下への出入口が見える。この写真ではちとわかりにくいがのぉ。
世田谷代田駅の北側には、かつて三河屋という酒屋のような名前のホームベーカリーのパン屋さんがあった。その隣りにあるアパートの2階の住人だったのは1982年ごろで、三河屋さんは大家だった。朝になると外は焼きたてのパンの香りでいっぱいになったのは良い思い出。ときどき夜になると売れ残りの総菜パンを分けてくれたりもした。その木造アパートも三河屋も今はなく、建物も変わってしまった。皆さん、どうしているのだろう…。
環七通りのすぐ横にある新寿湯。わしが住んでいたアパートは風呂なしだったので、徒歩3分ほどのここによく通っていた。この写真は昼間なので閉まっているが、どうやらまだ営業中のようである。うれしい♪ ただこの銭湯、夜遅くなるとめっちゃ混んでたので、当時は下北沢駅近くにあった別の銭湯までオートバイで出かけたりもしていた。そちらはとっくに消滅したけどね。
話は前後するが、こちらは三河屋さんにお世話になる前に1年半ほど住んでいたアパート。まだあったとは驚き! ここに転居した当初わしはサラリーマンになりたてで、ここから東銀座にある某社まで毎日通っていた。当時すでにかなりの築年数だったので、2013年現在、築60年近いはず。木枠だった窓がアルミに替わったのは何年か前に訪れたとき確認している。きっちり表札も掲げられておるし、今でも住人がいるもよう。ちなみにここ、2階の南西角部屋で陽当たりは最高だった。
ボロアパートの横は大家の居宅なのだが、ちょっと複雑な家庭だったのと、いつもつながれたままのかわいそうな犬が2匹いたのを思い出す。人を見かけるとすぐ吠えてうるさかったな…。ところでこのアパートの前にて、吾輩はスッポンポンの若い女性と白昼すれ違ったことがある。あまりに不意をつかれたのと、とっさに「どっきりカメラか!?」と思ったので知らぬ顔してやり過ごしたが、あれはいったい何だったのか? 30数年経った今でも謎である。
さて、ところ変わってこちらは世田谷代田と下北沢の間にある開かずの踏切。今でも忘れないのは、吾輩ここをオートバイで無理に渡ろうとして遮断機が下りてしまい、手で無理やり押し上げたらサイレンが鳴り響いたこと。なるほど、こんなときサイレンが鳴るのかと学習したわけだが、それだけイラつく踏切だったわけだ。それもまぁこの日で終わりである。
吾輩、世田谷区代田5丁目と1丁目で3回居宅を変えておるが、こちらは1丁目時代の近くにある北沢川の遊歩道。わしが住んでいた20数年前、北沢川は完全に暗渠(あんきょ)で川にコンクリートのフタがしてあり、ただの歩道だった。その後、水が流れるせせらぎの道っぽく変貌したようだが、変われば変わるものだといささか驚愕。沿道の桜並木は往時と変わらず、今年は開花が早かったこともあり、ほぼ満開なのである。うつくし〜♪
この坂を見よ。北沢川から世田谷代田駅へと通じるこの激坂。ここを一気に自転車で駆け上がれるかでその日の元気度がわかる、実にいい坂だ。6年間に及ぶ代田1丁目時代の後半、ブリヂストンのロードマンで自転車にハマっていた吾輩はこの坂が大好きだった。すぐにへこたれるクセして今でも坂が好きなのは、このころの経験があるからか!?
代田1丁目の梅ヶ丘通り沿いにあるスーパー信濃屋。わしはその隣りにある4階建てのマンションを事務所兼住居にしていた。真横がスーパーマーケットというのはこの上もなく便利なもので、当家専用の貯蔵庫のような存在であった。手前の居宅は建て替えられてしまったが、信濃屋が元気に営業中なのはうれしい限り。しかし、この通り沿いにあるそば屋の永らくは閉店してしまったし、よく利用していた喫茶「風」やトマト亭もなくなっていた…。
ここは環七通り、宮前橋近く。写真右に見えるのは中古車売買のガリバーだが、かつてここはわしが借りていた月極駐車場だった。スバルレオーネ、三菱デリカ・スターワゴンの歴代2台をここに置いていたのはいいが、交通量が多いためすぐホコリだらけになるのにはまいったね。
環七通りにかかる歩道橋から小田急線最後の雄姿をしばし鑑賞。左奥に見えるマンションは東京オリンピックの年にできたそうで、通称“オリンピックマンション”と呼んでいた。そこを仕事場にしていたS氏は今どうしているのだろう…?
実は世田谷代田の住人だったころ、ほとんど訪れたことはないのだが、ここ数年ハマっているジオキャッシングの仕込みにやってきたのは代田八幡神社。あらためて境内を見てみると、とてもきれいに掃除が行き届いた実に美しい神社である。しっかり参拝したのち、セッティング完了。これでこの地にまた来る理由ができたぜ。
自転車であちこちうろうろしたので話が前後しまくるが、ここは初代アパート近くの京王井の頭線新代田駅。30数年前、ここからわしは渋谷に出て通勤していた。あまりの懐かしさにここでもキャッシュを設置するのだが、駅の南隣りにあった小さな商店群がごっそりなくなり更地になっていたのはショック。うろ覚えだが、ここにはたしか「むつみ」という小さな食堂があり、激安のランチや夕食を提供してくれた記憶があるし、元気のいい肉屋もあった。環七をはさんで反対側のベェルというスーパーはその後別のスーパーになり、今は完全に閉店していた。諸行無常。
懐かしの世田谷代田めぐりを終えて、環七通りを北上しつつやってきたのは京王線の脇、井の頭通り沿いにある東京都水道局和田堀給水所。ずいぶん古い施設だなーと思いつつぐるりと一周すると、まもなく解体されるようで作業員の姿もチラホラ。また古い建造物がこの世から消えるのか…。
さてここからはジオキャッシングの時間。ここは京王線笹塚駅近くの玉川上水。沿道には桜が咲いているが、桜並木というほどでもない。写真を撮っていると散歩中のじいさんに話しかけられ「今年の桜は早いねぇ」なんて会話も。本日は20℃近くあり、ぽかぽか陽気なのである。キャッシュは無事に発見!
身軽な自転車だと玉川上水から下北沢まであっという間。ここでもいくつかキャッシュをゲットしたのち、一番街近くの踏切をしばし見物。ここは駅の真横なので、朝などまず踏切が開くことはなかったのである。それも今日で見納め!
20年以上前、毎年欠かさず初詣に来ていた北沢八幡神社。ただもうひたすらに懐かしい…。でも本日はお宝探しww なかなか見つからないキャッシュに手こずりつつ、なんとか見つけたときにはすでに日が暮れていた。TFTC!
これがホントの最後。写真ではなく動画で小田急を撮るため下北沢駅に戻ったら、踏切周辺の人出が大変なことになっていた。踏切の向こうは通称“闇市”と呼んでいたごちゃごちゃの商店街なのだが、小径車といえどもとても自転車では入っていけず。当然、踏切も全然開かないしで東側の踏切まで移動することに。
その後、京王線笹塚駅まで移動して京王モールの中の大戸屋で燃料補給。近くの中野通り沿いにあるマンションの5階を事務所兼住居にしていたのはたぶん1983〜85年ごろ。ここはけっこう立派な作りの建物で、もちろん今でも健在。その後、入口がオートロックになったようだ。ただ、ベランダが通りに面していたためクルマの音がやかましいうえに東向きで陽当たりも悪く、きっちり2年で信濃屋の隣りに引っ越すことになるのである。
今は亡き我が師匠、漫画家K氏の居宅兼事務所だったマンションにやってきた。すぐに特定できなったのは建物の名前が当時と変わっていたから。しかし1階にある「野武士」という雑炊屋は往時と変わらず健在で、これが目印になった。すべては20〜30数年前の話。わしの懐かし自転車ツアーはこれにて終了。この後、さらに幡ヶ谷から初台、山手通り経由で国道17号に出て、途中で小雨に降られつつ戸田橋に着いたのは23時過ぎ。おつかれっ!
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